サードオピニオンを受け、3人の医師(1人は、長くお世話になっているO先生、そして、M先生、U先生)の話を聞いたことになります。3人3様、どこにポイントを置いて結論だされた治療であるかということもよくわかりました。どの考えも「健やかさを取り戻すため」という思いの中で結論だされた治療法ですから、良し悪しはつけられません。
そして、奇跡は、この世界に正解を見つけるためのものではありません。このコースの目的は、この世界には真実はないと気づいていくこと、ということも忘れません。
そう言った見方で見れば、3人の治療方針は、どれもが「自分自身の強く信じているもの」から結論出されたもののように感じました。それは、どのことにも当てはまる、私たちの誤った知覚の原則そのもを映しているようでした。
T23-II-2:1~2
混沌の法則の一番目は、真理は人により異なるというものである。これらすべての混沌の原理と同じようにこの第一原理も、各人が分離しており、誰もが他人からその区別する一組のことなった想念を持っていると主張する。
ですから、どの治療法が私の行う治療法ですか?なんて野暮な質問はしませんよ。聖霊は、心を変えるためにはたらきますが、この世界に見る、自分の都合の良い結果のためにははたらかない、のですから。
どの治療法も、最終的には「どうされますか?」と、私の意志を確認されます。彼らの提案してくれる治療法は、彼らの膨大な知識と実績のデータから算出された理論や仮説に基づくものであって、私の身体ではまだ証明されていません。「この治療法でいけば、確実に大丈夫!」ということは誰にもわからないことなのです。どこにも確実に「いける!」というものがないのなら、それらを「プレゼンテーション」と捉えることにしました。
W-pt2-13.奇跡とは何か -1:1~3
奇跡とは訂正である。それは創造することはせず、実際、何の変化ももたらさない。奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると、心に思い出させるだけである。
私の目的は、「私が見ている病気は虚偽であると、心を思い出すことで、どのように病気を知覚するのか、どのように再解釈するのか」「救済はなされているということを見たい」ということなのだから、そういう意味では、どの治療法を選んでも、それは聖霊の教室の教材になります。
「今ままでの治療に戻っても」同じことが言えますが、今、私は、「西洋医学と東洋医学」という選択肢が見え、さらに「東洋医学の中でも、AとB」という選択肢が見えてきました。
「今までとは違う、別の道を見たい」という、思いが「別の道」を見ることができる視力を取り戻すというか、視野が広がるというか、自分が何者かを取り戻すための教材として選び直せる状況に立ち戻ることができました。
この状況を「違った見方で見てみたい。」と、なんども選び直すことができることは、それもまた安心です。今までとは違った考え方や見方を受け入れられる教材を選びます。
私が、今思う教材の条件は、「赦しをする上で、自分に親切でいられること。安心できる環境を自分自身に提供しやすいと思える方法」です。だって、問題と向き合うこと自体が困難なのに、さらに意地悪な環境を選ぶなんて、それはあまりにも狂気じみていると思いませんか?それに、赦しのためだからと辛い治療を選ぶのは、肉体(問題や恐れ)をより強く認識してしまいますから、目的と逆にいってしまいますよね。
とりあえず、U先生の治療法も試してみて様子をみることにします。
奇跡の原理ー奇跡講座「50の奇跡の原理」解説ーより
ですから、喫煙が癌の原因になると信じることは、自我の罠にはまることです。原因は罪悪感です。けれども、もしあなたが喫煙が自分に害をもたらすと思っているのなら、その場合は、タバコを吸うべきではありません。もしあなたが糖尿病を患っており、その病気が今もあなたの思考体系の一部であるなら、インシュリンの注射をしないとか、アイスクリームを食べるなどといったことは、自分自身を罰しようとする無意識の試みということになります。この状況では、あなたの病気の体をいたわることは、あなたが行える最も愛ある赦しの行為となります。