2011年から分かち合いの場を開催して、見てきたことは
あくまでも自分自身の内側を見つめる自主的な学習のスタンスを保ちながら、その中で学び、気づき、悩みや日常での経験/体験/理解の分かち合いと、お互いがお互いにサポートされ強化していく「神の教師」(愛の反映)の関係がそこにあること。
コースは「自主学習」と言われ、テキストやワークブックを各自で読み進めて理解していきます。
ですが、独りでは戸惑うことや新たな知識を、自分の知識に収めたり、ごまかすことも陥りがちです。
今、自分が、どの立ち位置で学んでいるのか、立ち止まり見直すことも必要なことです。
独りでは、ACIMを自分の解釈に寄せて理解されることも想定され、それではせっかくの学びも本末転倒してしまいます。
そう言った、各自がそれぞれの経験と理解で得た学びを持ち寄り、学習を通して陥りがちな状況も共に学ぶ仲間と一緒に確認できれば、自信を持って理解できます。
そして何よりも「肉体としてのひとり」では、言葉通りに学べないのがコースの面白いところではないでしょうか。
「自分は何者か?」という問いの答えと同じく、互いに写しあった「自分」を通してほんとうのことに目覚めていくには、独りでは学べないものがたくさんあります。
テキストの世界観と日常を分けず、確信を持って日常に愛を延長していく練習と学びの場としてACIMスタディグループはあります。
一時的には、教える側・学ぶ側、という関係があるかもしれません。
でもそれは、ずっとではなく、あくまでも「表面的」で「一時的」な関係のことです。
ともに学ぶ者同士で、与え/受けとることを、お互いが同時に得ていることにも気づけます。
学習をサポートしあえる。
認識を強化しあえる。
分かち合いという「愛の延長」を通して、ほんとうの「ひとり」という自主学習をご一緒に実践しましょう。