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Today’s message 投稿一覧ページです。

Today’s message は、
奇跡講座の上下巻から抜粋してご紹介しています。

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  • T7-II-7:7~8 - 癒しとは、あなたの兄弟の中に自我の存在を認識しないことによって、自我があなたの中に引き起こした危機感を忘れる方法である。これにより、あなた方両方の中の聖霊が強化される。なぜなら、それは恐れを認めることの拒否だからである。… もっと読む T7-II-7:7~8
  • T7-II-2:1 - それならば、癒すとは、聖霊を兄弟と共有することにより、兄弟とあなた自身の中で知覚を訂正することである。 (奇跡講座テキストより T7-II-2:1)
  • T11-VI-1 - 自分が見ているものを信じないということは不可能だが、自分が新ンジていないものを見るということも、同じく不可能である。 奇跡講座 T 11-VI-1:1
  • T31-VI-6:1 - あなたは傷つかざるものだろうか。そうであれば、あなたの見る世界は無害である。 奇跡講座 T31-VI-6:1
  • T21-III-1:6 - だからこそ、聖霊はその関係の目的を、聖霊にとっては有用で、あなたにとっては無害なものへと、変えなければならないのである。 奇跡講座 T21-III-1:6
  • T10-III-10:11 - あなたは、愛の全き無害性ゆえに愛を恐れることを選択した。そして、この恐れゆえに、あなたは自分自身の完璧な助力性と、あなた自身を助ける完璧な助けを自ら放棄しようとしてきたのである。 奇跡講座 T10-III-10:11
  • T8-IX-2:1~2 - 間違った知覚とは、ものごとの状態が今あるままでないようにと願う願望である。あらゆるものの実相はまったく無害なものである。まったき無害性があらゆるものの実相の条件だからである。 奇跡講座 T8-IX-2:1~2
  • T6-III-3:1 - 唯一の安全は聖霊を延長させることにある。なぜなら、聖霊の優しさを他者の中に見るとき、あなた自身の心は自らをまったく無害なものとして知覚するからである。 奇跡講座 T6-III-3:1
  • T4-VII-8:12 - 心が全的に助けとなることを学んだときにはいつでも、神が賛美される。これは、全的に無害とならない限り不可能である。 奇跡講座 T4-VII-8:12
  • T4-II-5:4~3 - あなたは真の自己保存の感覚を持っておらず、自分を最も傷つけるであろうものが自分に必要なものだと決めてしまいがちである。だが、今そう認識していようといまいと、あなたはすでに、無害で助けになるという切り離せない二つの属性を兼… もっと読む T4-II-5:4~3
  • T3-I-7:1~2 - 贖罪そのものは、ただの真理の光のみを放射する。したがって、それは無害性の典型となり、祝福のみをもたらす。 奇跡講座 T3-I-7:1~2
  • T19-IV-C-i-10:5 - その小さな手の中に、あなたが行うであろう奇跡の一つひとつを完璧に安全に握っており、それがあなたに差し出されている。 奇跡講座テキストより
  • T19-IV-A-i-17:7 - 私の肉体はあなたの肉体よりも価値があったわけではない。それはあなたの肉体と同じく、救済を伝える手段であったが、救済の源ではなかった。 奇跡講座 テキストより
  • T19-IV-A-i-10:5~6 - 愛は愛だけに引き寄せられる。罪悪をすっかり見過ごしている愛はには、恐れが見えない。 奇跡講座 テキストより
  • T19-IV-A-4:3 - 平安は神のもとから去ることができないのと同じように、あなたのもとを去ることはできない。 奇跡講座 テキストより
  • T3-V-7:7 - 知覚とは、受け入れては拒絶し、組織しては組織し直し、転換しては変化させるという、連続的なプロセスである。
  • T25-I-3:1 - 知覚とは、自分自身がなりたいものや、すみたい世界や、自分の心が充足し満足すると思える状態についての選択である。
  • T14-VII-1 - 知覚とは、無知が智識のもとへ運ばれるための媒体である。
  • T8-IX-2:1 - 間違った知覚とは、ものごとの状態が今あるままでないようにと願う願望である。
  • T25-I-3:3 - 知覚はあなたに、あなたが望む通りの自分を見せる。
  • T9-III-8:2 - 聖霊の機能をあなたが引き受けてはならない。そのようなことをすれば、あなたは自分自身の機能を忘れてしまう。
  • T20-VII-1:3 - 単純で単刀直入なこのコースには、一貫性のないものは含まれていない。
  • T11-V-1:3 - 私たちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備ができている。なぜなら、私たちが共にいれば、それを一掃できるランプがあるからである。そして、あなた自身も自分はそれを望まないと気づいているので、準備ができているはずである。
  • T25-II-11:5 - あなたと兄弟には救済の力が与えられている。
  • T25-II-2:4 - 次のことだけは確かである。あなたがものごとを見ている見方、そしてこれまでも長い間見てきた見方によれば、あなたの未来に希望を抱くべきよりどころとなるものや、成功の兆しを示すものはまったく見あたらない。
  • S3-IV - あなたが自分自身と世界について何かを考えていようとも、あなたの父はあなたを愛している。そして、あなたがついに平安を抱いて父の元に戻るまで、父はあなたを呼び続けるであろう。(S3-IV-10:7)
  • W-p1-196 - もしあなたが、他人を攻撃しておきながら自分自身は自由でいられるという恐ろしい考えを受け入れるなら、そうした形の狂気をあなたは信じているのである。(奇跡講座 W.p1-196-6:1)
  • W-p1-61 - 謙遜は、救済における自分の役割を受け入れて、それ以外の役割は受け入れないことで成り立つ。(奇跡講座 W.p1-61-2:3)
  • W-p1-105 - このコースが揚げる主要な学習目標の一つは、与えることについての見方を逆転させて、それによりあなたが受け取ることができるようにすることである。(奇跡講座 W.p1-105−3:1)
  • T23-III-4 - このコースは全く妥協しないからこそ易しいのである。(奇跡講座 T23-III-4:1)
  • T17-I-3 - 奇跡に難しさの序列があるはずだと主張するとき、あなたは自分には真理に預けずにおきたいものがあると言っているだけである。(奇跡講座 T17-I-3:1)
  • T16-VII-10 - あなたはいつでも真理か幻想かを選択するということを覚えておきなさい。それはすなわち、癒しをもたらす真の贖罪を選ぶか、破壊をもたらす自我による「贖罪」を選ぶかという選択である。(奇跡講座 T16-VII-10:1)
  • T16-V-6 - 特別な関係とは、地獄と天国をつなぎ合わせて両方を区別できなくするための、自我による奇妙で不自然な仕組みである。(奇跡講座 T16-V-6:1)
  • T6-I-5 - 私があなたと同じであり、あなたも私と同じであるという点を、私は明確にしたが、私たちの根本的対等性は、共同の決定によってのみ実証される。(奇跡講座 T6-I-5:1)
  • T26-I-4 - もし何らかの犠牲が誰かに求められるなら、必ず神についての記憶が否定される。(奇跡講座 T26-I-4:6)
  • T21-VI-5 - 聖霊の神殿は肉体ではなく、関わり合いである。(奇跡講座 T21-VI-5:1)
  • S-2-序 - 赦しは祈りに翼を与え、その飛翔を容易にし、その進歩を速やかにする。(奇跡講座 S-2-序:1)
  • C-3-1 - 赦しは、神のためのものであり、神へと向かうものであるが、神に属するものではない。(奇跡講座 用語3.1:1)
  • T21-II-4 - 一つの世界を作り出せるほどに強力なものは、その世界を手放すこともでき、自分が間違っていたと認めようとする意欲があるなら、訂正を受け入れることもできるということを、あなたは知覚しなければならない。(奇跡講座 T21-II-… もっと読む T21-II-4
  • T19-IV-i17 - 兄弟に信を置きなさい。なぜなら、信と希望と慈悲は、あなたが与えるべくあなたに与えられているものだからである。(奇跡講座 T19-IV-i17:1~2)
  • T19-IV-i20 - 誰もが自分が受け取る通りに与えるのだが、自分が受け取るものを何にするかは自分で選択しなければならない。(奇跡講座 T19-IV-i20:5)
  • T19-III-10 - 聖なる瞬間には、あなたは、自分と兄弟の両方の上に天国の微笑みが輝いているのを見る。そして、あなたは自分に与えられた恩寵を喜んで確認する中で、兄弟を照らすだろう。(奇跡講座 T19-III-10:1~2)
  • T19-III-1 - 罪悪の魅力は罪の中に見出されるのであり、誤りの中に見出されるのではない。(奇跡講座 T19-III-1:1)
  • T17-V-1 - 神聖な関係とは、この世界の生活の中に聖なる瞬間が表現されたものである。(奇跡講座 T17-V-1:1)
  • T13-I-7 - 共に旅する聖なる仲間たちを知覚するとき、あなたは、旅は存在せず目覚めのみがあると悟る。(奇跡講座 T13-I-7:1)
  • T23-IV-6 - 攻撃への誘惑が生じて、あなたの心を闇と殺意で満たそうとするとき、自分が戦闘を高みから見ることが可能だと、思い出しなさい。
  • T16-II-4 - 真の共感とは、それが何であるか知っている聖霊からくるものである。
  • T19-IV-3 - あなたが聖霊に返すべき感謝を、聖霊は代わりにあなたが受け取るよう求めているに過ぎない。
  • T3-I-5 - 清い心は真理を知っており、それがその心の強さである。清い心は破壊を無垢性と混同しない。なぜなら、無垢性から、弱さではなく強さを連想するからである。
  • T22-II-8 - 天国には、あなたが切り取って、幻想の中に織り込むことができる一部分と言ったものはない。
  • T4-IV-8 - これまで自分自身を喜ばせる機会がどれほどたくさんあったか、また、それらの機会のうちどれほど多くを拒んできたか、あなたは本当によく感がて見たことがあるだろうか。
  • M-20:6 - 神の平安とは何だろうか?それは、神の意志にまったく対極がないという単純な理解であり、それ以上のものではない。
  • S-1-II-5 - 敵とは、幽閉されたキリストの象徴である。そして、キリストとは、あなた以外の誰であり得るだろう。
  • M-22-1 - 癒しと贖罪は関連しているのではない。同じものである。
  • P-2-VII - 癒して、癒されなさい。この他に、平安へと導くことのできる道の選択肢はない。
  • T15-III-4 - あなたの機能が何であるかについては、疑問の余地がない。聖霊がそれは何かを知っているからである。
  • S-1-序 - 祈りとは、神がわが子を創造したときに、彼を祝福して授けた最大の贈り物である。
  • T17-VI-6 - 特別な関係が保護している思考体系は妄想の体系に他ならないと認めることは、もはや、あなたにとってさほど難しいことではない。
  • T16-II-4 - あなたは奇跡を行ったことがあるが、自分ひとりで行ったのでないことは明らかである。他社の心に達して、その心とつながったときにはいつでも、あなたは奇跡を行うことに成功した。
  • T4-II-3:5 - 驚きとは、馴染みのないものに対してなら妥当な反応だが、かくも執拗に起こり続けることについては、およそ妥当とはいえない。
  • T9-IV-1 - 贖罪はすべての者のためにある。なぜならそれは、何かがあたなひとりのためだけにあるという信念を、取り消す方法だからである。
  • T22-II-8 - 天国には、あなたが切り取って、幻想の中に織り込むことができる一部分と言ったものはない。また、天国に入るときに携えていける幻想など一つもない。
  • T24-Ⅷ-4 - 自分は心を守ることができるだろうかと、自分自身に尋ねなさい。肉体ならば、確かに、少し守っている。時間からは守れないが、一時的に守ることはできる。そうしてあなたは、自分で救おうと思う分だけ傷つける。
  • T20-VI-8 - 関係にに序列はない。それらはただ、関係であるか、ないかののどちらかでしかない。