明け方の夢

こういう時こそ

世界の風景に、様々な場所や状況に
新型ウィルスの影響という
心が選んだ「恐れ」の投影を見ています。

その知覚しているものを
「私は、不安ではないから」と
通り過ごしてしまうのは赦しを学び
この世界は夢だから。と言いながら
「他者」と「自分」の
分離をそのままにして
「真理の否定」を黙認しているのでは?

つまり

心が感じた恐れに対する否認をそのままにして、または、更に抑圧してしまっているのでは?

と、そんな風にも感じます。

私は、こうしたとてもわかりやすい「変化」も
一見、気に留める必要もないかもしれないけど
感じている「変化」にも
何かざわめくようなものが有ると感じています。

これは、今回のことだけではなく
常日頃から感じていることですが
そんな時は、心の「神の子記憶」である
聖霊を思い出し、そこに向けて
このざわめきを捧げています。

今の、この状況でも
することは同じです。

店頭の空になった棚
毎日流れるニュース
人影の少なくなった街の風景や通勤電車など

いつもの日常ではない風景に
「慣れる」のではなく
素直に「怖い」と「異様」思う気持ちを
一つ一つ丁寧に
聖霊の祭壇へ捧げて過ごしています。

そして、こんな時だからこそ
「破壊のための赦し」ではなく
「真の赦し」を実践していく機会だとも思います。

「祈りの歌」を
もう一度、ゆっくりと読み返し
神の平安を望みたいと思います。