— メッセージ —
T13-I-7
共に旅する聖なる仲間たちを知覚するとき、あなたは、旅は存在せず目覚めのみがあると悟る。(奇跡講座 T13-I-7:1)
共に旅する聖なる仲間たちを知覚するとき、あなたは、旅は存在せず目覚めのみがあると悟る。(奇跡講座 T13-I-7:1)
これまで自分自身を喜ばせる機会がどれほどたくさんあったか、また、それらの機会のうちどれほど多くを拒んできたか、あなたは本当によく感がて見たことがあるだろうか。
神の平安とは何だろうか?それは、神の意志にまったく対極がないという単純な理解であり、それ以上のものではない。
夏頃だったでしょうか、数人の友人のタロットカードのモニターをお受けする機会があありました。 「何か質問はありますか?」という問いをもらう時、わたしには定番の「問い」がありました。 さほど深刻ではない「自分への問い」 だけ… もっと読む パッションはどこに?
癒しと贖罪は関連しているのではない。同じものである。
特別な関係が保護している思考体系は妄想の体系に他ならないと認めることは、もはや、あなたにとってさほど難しいことではない。
贖罪はすべての者のためにある。なぜならそれは、何かがあたなひとりのためだけにあるという信念を、取り消す方法だからである。
天国には、あなたが切り取って、幻想の中に織り込むことができる一部分と言ったものはない。また、天国に入るときに携えていける幻想など一つもない。
自分は心を守ることができるだろうかと、自分自身に尋ねなさい。肉体ならば、確かに、少し守っている。時間からは守れないが、一時的に守ることはできる。そうしてあなたは、自分で救おうと思う分だけ傷つける。
関係にに序列はない。それらはただ、関係であるか、ないかののどちらかでしかない。