明け方の夢

静かに耳を澄ます。

コースを学んでいる皆様にとって
コースのいう手段としての「奇跡」と、一般的に辞書などに書かれている「奇跡」との意味の違いは、しっかりとご承知のことですよね。

ちょっと基礎確認。

「奇跡」って、手段です。

ということは、「結果」ではないということです。

「奇跡を起こす」というのは、何か特別なこととが起こることでも、都合の良い状況になることでもありません。

「他に(自我以外の)何か別な見方がある」ことを思い出すことです。

そして、その時に思い出すのが、神の愛を覚えている「聖霊」です。

コースの「奇跡・赦し・救済」について、聖霊なくして成り立ちません。
「聖霊」は、神の子の心の中で、神の愛を覚えている記憶の部分、他の言い方では「贖罪の象徴」とも言われています。(他にも色々ありますが・・。)
その思考体系とともにこの世界を解釈していくと、問題は何もないと見ることができます。

自分の感じているアレコレを聖霊へと預けていくわけですが、起こっている現象を自分でなんとかしようとするのでもなく、かと言って、その思いを諦めることもしない。

「預ける」とは、もうそれ以上は何もしないと決めることです。

早く楽になりたくて、何が間違っていて、何が正しいのか、判断して、思考を巡らせてしまうこともやってしまうこともあります。
でも、それって、逆に、めっちゃくちゃ疲れません?

どんなに頑張っても、そこに答えは「ない」わけですよ。
そういった疲れることは、速やかにやめて静かに過ごしていきましょう。

「奇跡」を選ぶことで、赦しを受け入れ、救済が訪れますが、これは聖霊にしかできないことです。
「聖霊」を思い出さなれば「奇跡」を選ぶことができないと言う言い方もあるかもしれません。
だって、聖霊なしで、「他に(自我以外の)何か別な見方がある」と探しても幻想を超えられないのですから。

つい、この先の展開にも、自分が関わって、自分の希望や理想が含まれていることを確認したくなるかもしれません。

その心配は、さらに苦しくなってしまうので、聖霊に預けたら安心して任せましょう♪
聖霊とともに、問題(自我)と向き合う。聖霊/イエスに先を歩いてもらう。
そうやって、自分の判断(問題に対する信念や咎め)をストップさせて過ごしましょう。

聖霊の邪魔をしないように♪

奇跡って、神の愛(御心のまま)をスムーズに延長することが、できなくしてしまっている「思考」を取り消してもらうために、ただ、聖霊を選ぶだけのことです。

私たちがするのは、「奇跡」という手段を使って、自我の解釈でしか考えてこなかった自分を一旦ストップさせ、聖霊を思い出すこと。

それだけなんですよね。

めちゃくちゃシンプル!!

その次は、何したらいいのかしら?と思うかもしれません・・・。。

大丈夫!すぐ分かります。
静かにしていれば___。

ということで、耳を澄まして過ごしていきましょう♪

その声はか細くて聞き取りにくいもののように思われているが、その理由は、卑小な分離した自我の声の方がずっと大きいかのように感じられるからである。これは実際には逆である。聖霊は間違えようのない明瞭さと、圧倒的な魅力をもって語る。自らを肉体と同一視することを選択しない者であれば、聖霊の解放と希望のメッセージが聞こえないということはありえない。
『奇跡講座』前書き、教義より

ありがとうございます。
祝福と感謝を込めて。・*。・*

赦しに続く・・・