明け方の夢

世界を信頼する_?

Web朗読会の中で、
「心だけがコミュニケーションをする。」について分かちあっていた時に「世界を信頼する」という言葉をつかいましたら、「世界はない」というコースの概念から矛盾してませんか?

という質問を受けました。こちらでも分かち合いたいと思います。


「世界はない」は、この世界は幻想で、夢ということ。

これはもう、コースを学ぶに欠かせない概念ですよね。

実相世界、天国、神の愛だけが在ります。
それを知ることは、夢から覚めることですが、そこに至るまでに赦しをします。

奇跡も、赦しも、想念です。

悪夢を見ている神の子が、赦しにより、苦しみや恐れといった罪悪感にまつわる想念が無かったことになります。
思考が逆転されます。
奇跡による想念で、夢を見直すことができます。

赦しが完結した時、奇跡も赦しも必要ありません。
そこでは、時間も空間も必要とされていないし、神の愛から離れていなかったことを知ることができます。

夢を見ている(身体を持っている)うちは、赦しが不可欠です。
常に、選択していないと、悪夢を見てしまうから。

夢だったと知るために選択があります。
何を選ぶか、何を見たいか、何を感じたいか。
それを達成するためには、まず、その目的を定めていないと意識は向きません。

半信半疑では、意図することが出来ません。

この問題や状況、相手との関係性の着地点を定めます。

着地点が決められない時、「そこに見たいものは何か?」を問うてみると目指す場所(意思)がわかります。

その目指す場所を意図したなら、それを信じないと見られないわけです。

なぜなら私達は、自分の内側を外側に映しているから。

そうするなら、何を映し出しましょうか?
ということで、着地点(ゴール)を決める、または、選ぶ必要があります。

神の子が、神から同質のものを受け継いでいるなら、そうであることを信頼して世界を見ることを選ぶしかないですよね。
選ぶものは一つしかないのですから。

それを同じように延長しクリエイトすることが出来る心のパワー。
その心のパワーを信頼すること。
その心のパワーを知っている聖霊に委ねること。

「信頼する」ということは、「分からないけど、大丈夫」と委ねる感覚だったり「ほんとうのことを知っている存在にお任せする」という感覚なのですが、さらにいうなら「信頼=愛」だとも思っています。

信頼するタイミングは、今現在しかありません。「信頼してた」「いつか信頼する」なんて過去や未来の信頼ってヘンテコですよね。この瞬間のコミットが大切なんですよね。

神と同質のものを受け継いでいる神の子の心のパワー(クリエイティビティ、愛を延長する)を選び、そして、選んだなら信頼するしかない。

そういった私なりの解釈から「世界を信頼する」という言葉を使いました。
「愛しかないんだよね。が見たい」
「赦し(奇跡)が確実に起こることを信頼する」という想いです。
奇跡は聖霊によってなされるので、私たちはただ委ねるしかできませんものね。

「世界がある/ない」という極論の話ではなく「赦しの段階において世界をどうみるか」ということでしたが、「世界」という言葉があるので、おや?と、気に留められた細やかな感性に感謝します。

赦しは感覚で行うので、説明すると難しいですね。
私のボキャブラリーの拙さゆえのご質問、ありがとうございます。
きっともっと、いい表現があるのでしょうが、そこは大目に見ていただいて♪
それでもこうして書いてみると、感覚が整理され確信(信頼への強化)を感じます。

web朗読会のメンバーだけの分かち合いにとどまらず、こんな風に分かち合うとは私も思っていませんでしたが、少人数ではもったいない気がして、このようにオープンにしました。
web朗読会は、結局「読むだけじゃない」理解を深める時間になっています。


さて、こんな感じで、
私自身、日常を心がけて過ごしているわけですが、すんなり「平安」を感じる時もあれば、なかなか上手くいかない時もあります。

「まだ、自分が正しいって思ってる。」「こだわってる」そういった「握りしめている」自分を感じて、認めて行く作業もしています。

この「握りしめ」は、苦しみ、恐れ、罪悪感を抱えていることですが、でも、そもそも、神の子に罪はありませんよね。(間違いはしたけど)

それって、ただ単に神の子のアイデンティティを忘れてるだけなんです。ならば「思い出させてください」と、祈るしか出来ないので祈ります。

※この流れは、トレーニングによってオートマチック化することも可能です。

そうしている間に、答えがやってきます。
神の子のアイデンティティを思い出したいと投げかけた問に対する答え(平安)です。

その後に映る世界は、どうであれ「平安」の中で見るので苦しみも恐れもありません。
その見え方は、様々かもしれませんが、その内容は一貫しています。

「実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
そこに神の平安だけがある」

ではないでしょうか。

これの繰り返しですよね。

まだある・・。と
ゲンナリすることにも飽きてきませんか?
焦らず、気長に
赦して、赦して、赦してまいりましょう。・*。・

レッツ フォアギブネース ٩( ᐛ )و !

お読みいただきありがとうございます。
感謝と祝福を込めて。・*。・*